その1 「風水とは何でしょう。」 作家の五木寛之さんが、最近の著書の中で次のように述べています。「気」というものの存在について、私はあまり真剣に考えたことがない。 いまでもそうである。 しかし、見えないから「気」は存在しないなどと考えたことは一度もなかった。 また科学的に証明されないから「気」はありえないと考えたこともない。 むしろ実験によってその存在が確認されるような「気」なら、 それほど興味もおぼえなかっただろうと思う。 「気」は見えないから面白いのである。 科学的に計測される程度の「気」は、 手にとって遊べるオモチャのようなものだ。(以上「気の発見」より引用) いかがでしょう。 「気」というものについて、かなり的確に表現されていると思います。 実際、この世の中で、科学で解明されているものなど、ほんの一握りです。 数パーセントにも満たないでしょう。 つまり、ほとんどが、まだわかっていないのです。 ただ、わたしたち日本人は、西洋の人たちに比べて、「気」というものについて、 進んだDNAを持っているのだと思います。 元気・病気・勇気・本気・気合・気分・気質・雰囲気・等々、日本語には「気」 のつく言葉が数限りなくあることからも、それがおわかりになると思います。 そんな東洋に対して、西洋には、「気」にあたる言葉はありません。 こんな言い方をしては申し訳ないのですが、「気」の後進国ですね。 (ただ、ここ数年の欧米の風水熱にはすごいものがあります。西洋人の風水師も たくさんいるんですよ。) しかし、実は明治時代以降、わたしたち日本人も、西洋文明を積極的に取り入れて きたせいで、「気」のことを忘れかけているのです。もったいないと思いませんか? 風水は、この、見えない「気」というものをコントロールし、良い運を呼び込み、 快適に暮らすための学術体系です。 その歴史は、今から4000年前の中国に遡ります。 古代の学者達は、自分達を取り巻く自然環境から、「気」のエネルギーについて研究し、 天文学・気象学・地理学・物理学・心理学・医学にまたがる膨大な経験則、統計値を、 「風水」というシステムにまとめ上げたのです。 その中には、目に見える、もしくは現代科学的にも裏付けのできる、明快な生活技術的 なものから、先述した「見えない気」を調整する秘術まで、多くの種類、流派が存在 します。(もちろん、最近の占い風水的なものは問題外ですが。) ところで、そもそも「風水」という言葉の意味は何かご存知ですか? 「風」すなわち空気と、「水」が、わたしたちにとって必要不可欠な要素であるのは もちろんですが、もうひとつの意味があります。気は風に乗ずれば散じ、水に界(くぎ)られれば即ち止まる。 古人はこれを聚(あつ)めて散ぜしめず、これを行いて止めるあり。 ゆえに、これを風水という。−葬書(郭璞)より− 「大地の気は風によって散り、水によって集められる。」 古代中国の、有名な古典の一説です。これこそが風水の由来であり真理です。 よい「気」を取り込むために、風と水を操るということです。 そしてこれは、「蔵風聚水(ぞうふうじゅすい)」という考えを示しています。 風には陰風(いんぷう)と陽風(ようふう)があり、陰風というのは人に害を 為す風のことを言います。 冬の寒い北風や台風などは陰風です。逆に陽風は爽やかな南風のことを指します。 「蔵風」とはこの陰風を防ぎ、陽風を取り入れる、つまり身のまわりの風を コントロールすることです。 また「聚水」とは、近くにきれいな水の流れている川があったり、地面を掘ると 清水が湧いて出てくるような、水に恵まれるという意味です。 これは、地形に左右されるケースが多いですが、風水では水の働きをするものを 人工的に作ったり置いたりして、改善することもあります。 都市や住宅を作る上で、風による影響を調整し、水を活用することは、現代に おいても重要な条件のひとつです。 古代の学者は、それを熟知しており、「風水」という体系を作り上げたのです。風水は、占いではなく、今日にも通用する、環境整備学なのです。